お ま け
日本に帰った明くる日(9月11日) 私に似合わず 一番に病院へ行った。
水、食べ物の異なる国へ行ったのだから 念のためとの思いからだった。
するとあろうことか即入院を言い渡された。
まだ旅行の荷物もうけとっていないのに、、、お医者様にいくら頼んでも一刻の猶予も頂けなかった。
告げられた病名は¨癌¨。まさか、という言葉しか浮かばなかった。
時間だけが流れて行った。9 月から5 ヵ月が過ぎた。年も変わり、やっと退院。
今はすっかり治り これを書いている。
¨旅行と病気が 逆でなくて良かったネ!¨
皆が異口同音に言う事であった。
今度の旅行は 日本での準備をして下さったAさん、スペインでの全ての事をして下さったKさんに負うところか大きい。
ところが もう1つどうにもならない事、、、
それはお天気。
全日程 好天に恵まれようとは 思ってもいなかった。出発前にはポンチョも準備し 万全を期した。
実際は朝起きた時には 音をたてて降っていた雨も出掛けようとタクシーを待っている間に日が差してきた。
またある時は1日の予定がすっかり終わり、ホテルに足を一歩入れた途端に大粒の雨が降ってきたり、、、
何かに守られて居るような気にさえなった。
これからも何があるか分からない。
¨人生は多人多脚¨
周りの沢山の親切を有り難く借りながら行きたい。
改めて感じた旅になった。
付 記
通訳のKさんに宛てたお礼状を 今回の旅行の感想、まとめとしたい。
K様
一生で最後の旅と決めていた旅。
最高の旅だったことをお伝えしたくこれを書きます。難しい教会の名前、街の名前等は残念ながら失念してしまいました。でもそこでお会いした人の顔、頂いた親切は今でもはっきり思い出せます。
私の場合、巡礼とは名ばかりだとは思いつつ、3,4日もすれば本当の巡礼のような気がしてきました。
¨あ~ 思い切って来て良かった!¨と心の底から思いました。
大きな期待は抱かずに行こうと思っていましたので、そのギャップの大きさに 自身、驚いてしまいました。
どこまでも巡礼の持つ意味の大きさ、奥深さの一端を知れた様な気がしています。ほんとうに有り難かったです。
中 略
もう一度リベンジに、、、とおっしゃっていた言葉が脳裏に残っていますが 私にはその必要が全くありません。
あれほど心楽しく、緊張せずに出来た旅行は恐らく後にも先にも、もう無いと思います。高校が同じだったこともあったかも知れませんが、初めてお会いする方に連れて頂いている気は全くしませんでした。¨プロやな~¨と感じてしまいました。
本当に忘れられない旅、、、 行く前に描いていた何倍もの重みのある旅になりました。
見えない所でのKさんのお心遣いにも感謝します。お礼の遅くなりましたこと、もう一度お詫びして終わります。
ご健康、ご多幸を、、、
かしこ
よっ子
思いでの人々
国の内外を問わず、旅ではそこで出会った何人かが 深く記憶に刻まれる。
ここではその何人かを思い出して見たい。
街の小さな教会で堂守りをされていたお婆さん。通訳を通して、私が日本から来た事を知り静かに涙をながし、深く深く抱いて下さった。教会の庭にあったオリーブの木と共にいまだに胸が熱くなる。
タクシーの運転手さんは日本と違い制服というものがない。男性も女性も全く自由である。ランニングシャツに短パンといった風にである。
それにお話し好きといったらない。¨前向いてちゃんと運転して!¨と言いたくなる程、話に夢中である。勿論、交通事情がそれを許すからだが、、、。
レオンでは博物館に夜9時頃行く事になってしまった。もう閉じかけていたにも関わらず 案内係(どこかの学生)が集まり車椅子を持ち上げて案内してくれた。帰りには皆で記念撮影まで!
最終目的地のサンティアゴ-デ-コンポステラで会った巡礼。彼女はいかにも全行程を歩き通した事を物語る様にパンパンに腫れ上がった脚。教会の中、街の中、いろんな所で会った。ついに言葉を交わし台湾からだという事も知れた。
有名な所の名前、街の名等は覚えた尻から忘れてしまった。しかし、これらの人の事は折りに触れ当時の空気感と共に今も鮮明に思い出すのである。
さぁ 出発!
日程は2018年 9月1日~9月10日と決め、旅の目的をKさんに告げ いよいよ具体的になった。
山形~成田~マドリッド~ブルゴス~レオン~アストルガ~ポンフェラーダ~サンティアゴ-デ-コンポステーラ~マドリッドの6都市に決定。
スペインを東から西へ3分の1程 横断する旅だった。
ホテルは身障者用の部屋だった。だがホテルによってベッドの高さ、お風呂の様子、更には便座の高さ迄 違っていた。私にとって それはある種のサバイバルであった。
街はどこも夏休み中で、私の日程に合わせるかの様にお祭り、音楽会、行列等を楽しめた。
朝は歩行者天国みたいに、車椅子ばかりが走れる道路もあった。
人々は車椅子を全く気にしていない様だった。ところが少しでも人手の要りそうな場面では、アッと言う間に集まって 助けてくれる。それも明るく 楽しそうにである。
列車の中には身障者用に特別のボタンがあり それを使うと座席まで飲み物や食べ物を運んでくれる。
こちらが希望しさえすれば何時でも、喜んでして下さる。身障者にとって本当に心地良く、有難い事であった。
自分次第
スペイン旅行への色々な人の多少の意見の違い等はあったものの、出発に向けてことは進んだ。
一番大事なお医者様からは、太鼓判を頂いていた。
日本出発までは 施設で知り合えた旅行関係のAさん 当地では通訳のKさんにお任せするができた。
だが、それ以外にも私自身の多くの判断が要った。
- どれくらいの日数が可能だろうか?
- 荷物はどれくらい?
- 前泊、後泊は?
心配事は増えるばかりだった。旅慣れず、勿論 病気後初めての事だった。
早速 パスポートを取りに行った。証明写真を撮る時の大変だった事!でも少し位の事で挫けてたら、ヨーロッパ迄行けないぞ、、、
もう一つ 私には“どうしても”と言う使命感の様なものがあった。それは巡礼である。病気故 全行程は諦めざるを得なかったが、たとえ部分的にだけでも、、、 25歳で他界した、息子の為だった。
願えば叶う
よっ子ちゃんこと筆者は、4年前に脳出血を起こし、半年間入院した。あと数ヶ月で仕事を終える64歳のことである。右半身不随で車椅子の生活になった。
一人住まいの私は、一軒家から施設住まいになり、全てが未知の世界だ。
海外へ行く事などは勿論、近所の買い物も儘ならなくなってしまった。
当座はリハビリに通うことに明け暮れ、精一杯であった。
しかし、十数年間抱いていた夢である”スペインの巡礼“が私の頭の中に少しずつもたげてきたのである。身体に元気が戻ってきたのだ。
施設のある利用者の娘さんが旅行関係のお仕事だと言う事を風の便りに耳にした。話を聞くだけでも、、、と 一度は諦めかけた夢が、再び息を引き返した。